自由に向けてのメタモルフォセス

『ミンドゥルレ』2007年 5・6月号に寄稿した文章です。

『ミンドゥルレ』は韓国における脱学校、オルタナティブ教育に関する情報を発信している雑誌です

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自由に向けてのメタモルフォセス

 人が自由になっていくということは、なんとダイナミックなことなのだろうと思う。元来、メタモルフォセスは生き物が自らその姿を変えることを指す生物学の言葉だ。ヤゴからトンボになったり、おたまじゃくしが蛙になったりすることを意味する。メタモルフォセスという語を使うのは、成長するという側面を示唆したいからではない。この変化が、体の内側から変わる大きな変化だということを表したいと思ったからだ。トンボや蛙は、メタモルフォセスで実に呼吸の仕方まで変えているのだ。さらに、自由に向けてのメタモルフォセスがダイナミックに感じられるのは、この変化がその生命体だけにとどまるのでなく、自分の周り、つまり社会へも働きかけていくような変化であるからだろう。

Ⅰ.自由な場がすぐに自由にするわけではない
 「シューレ大学は自分が今までに出会ったどの場所よりも自由だと思いました。というより、自分の人生の中で初めて自由な場所に出会ったと思ったと思ったんですね。自由な場所にいたら、自分もどんどん自由になると思っていたけれど、そうならなくて苦しかった。僕の中に自由を縛るものがあったからなんですね。」これは、2007年2月にソウル市代案教育ネットワークに参加されているソウルのフリースクールでスタッフをしている方々がシューレ大学に来られた時に、訪問されたスタッフの方々とシューレ大学の学生が質疑応答をしていた時に、シューレ大学の学生が言ったことだ。

II.シューレ大学に入って
 シューレ大学は日本の文部科学省が認可する形の大学ではない。非営利の活動をしていると公的に認可を得るNPO(特定非営利活動法人)という形で、学びたい学生たちが、自分たちの学びをつくり合う活動をしている場だ。ここでは、人一人の学生が自分の学びの計画を立てるだけでなく、講座も講師と話し合って計画するし、大学の運営にも参画している。入るのには学歴はいらず、18歳以上なら知りたい、表現したいという人なら参加をすることができる。学生は現在40名ほどで、学生の出身地は鹿児島から北海道まで幅広い。不登校や代案教育の研究、ソーラーカーの制作、映像製作、演劇表現など様々なテーマに取り組んでいる。
 自由な場にきたら自由になれる、と考えるのはもっともに思える。この学生が言っているのは、場が自由であっても自分の中に自分を縛る様々なしばりがあるということだ。例えば、シューレ大学へ通う日数も、その学生が判断して決める。名古屋から通う学生は月に1、2回シューレ大学に通い、それ以外はインターネットを介してシューレ大学とつながり自宅でアートの制作をしている。その一方、毎日シューレ大学に来て様々な講座やプロジェクトに参加している学生もいる。講座も関心があるものに参加し、講座のやり方や内容は話し合って進めるので自分の意向も反映することができる。自分の研究や表現については講師による一方的な評価を受けるのでなく、講師を含め他の学生もそれぞれに言葉でコメントをしていく。仕組みとしては、個人の意思をできるだけ尊重しようというものになっている。だから、自由な場なのだから自分も自由になれると新たにシューレ大学に入る学生が思うのももっともだ。講座やプロジェクトのミーティングでも、それ以外でも他の学生たちは言いたいことを言い、思うように行動しているように見える。しかし、自分は言いたいことがなかなか言えなくて苦しい。この学生は、始め、「一見自由に見えるようでも実は講師やスタッフが、あるいは長くいる学生が権力を持っていて牛耳っているのではないか」そう疑ったという。しかし、そんな気配はなかったという。一方、その学生は「こんなこと言っても大丈夫だろうか、こんなことを言ったらどう思われるのだろう」という戸惑いがあったのだ。そして、徐々に言えるようになったことと、それでも言えないことがあったという。

III.孤独な自由
 どの人もシューレ大学に入るまでに短くとも18年の人生を過ごしてきている。すでに様々な考え、イメージを持ってきている。もちろん、自由についてもその人なりの考えやイメージがある。シューレ大学に入って自由についての考えが変わったという学生は多い。シューレ大学に入る前の自由についての考えやイメージを聞くと、多くの場合それはとても孤独だ。
 先ほど発言を引用した学生は岳君という。岳君は比較的民主的な小学校を卒業し、中学校に進学した。入学に際して校則で頭髪を坊主にしなければいけなかった。彼は、頭髪が自由だった小学校時代も短い髪形が好きなこともあり、頭髪の短さ自体は嫌でなかったが、自分の意思と違うところで決め付けられることが嫌だったようだ。また、友人たちが坊主にするのをとても嫌そうにしているのを見るのがとても嫌で、入学早々頭髪の自由化を提案するアンケートを兄弟や友人たちの協力を得ながら始めた。しかし、教師に呼び出され、出すぎたまねをすると強く叱責されてしまった。頭髪の自由化の提案は生徒会の役員にでもならなければできないというのだ。そして、様々な経緯を経て、教師を始め、同級生や上級生からの脅しにも耐えながら自ら校則より少し髪を長く伸ばし続け、やがて生徒会の役員になり頭髪の自由化の提案を生徒総会に提出するまでにこぎつけた。しかし、生徒会でも相談して作られた頭髪自由化の提案は教師が黙って握りつぶし生徒総会には提案されなかった。このことや部活動での出来事をきっかけに岳君は、不登校を始めた。ほとんどの同級生は高校に進学したが、高校に希望が持てず強い人間になるため、また、お金をためて北欧に留学するため就職をした。しかし、そこでもすぐ年長者に対する敬語の使い方が不足であると注され、また、職場では親方など決定権を持っている人に従うしかないと感じ、結局は学校と変わらないと失望せざるをえなかったのだそうだ。その後、高校教師である父に、大学は自由に学べると言われ、勉強し、大学へ進学した。しかし、自由に学べるはずの大学では、わからないことを自分にひきつけるためにたくさん質問すると、「授業の進行を妨げる」と厳しく叱責された。一度ならず同じような経験をし、この大学を退学してシューレ大学にやってきたのだ。
大学を含めた学校や職場での経験から、教師のような権力を持っている人が自由を使ってしまうので、自分(たち)は自分たちの自由を我慢しなければいけない状況におかれてしまう、と思うようになっていたという。その人たちが自分を含めたほかの人の自由を使ってしまうことに逆らったら、ひどい目にあう、だから誰が権力を持っているのかを知り、その人が自由を独占することに逆らわないようにしなければ自分が安全でないと考えていた。でも、それでは苦しくて、そうでない生き方を探していた。
 ここにはまず、自由は一人一人が生まれながらに持っているもので、基本的には言いたいことが言え、やりたいことができるものが自由なのだ、という考えがあるように思う。他者といると、どちらかが相手の自由のために妥協あるいは我慢をせざるを得ない、となる。実際社会で、例えば、学校だと教師や上級生が、職場だと上司が自由を享受してしまうので、下級生や部下はほとんど自由がないと感じるというのだ。この場合、自由がゼロサムゲームのように考えられているからだ。ゼロサムゲームでは、利益の総量が決まっていて、誰かが利益を持っていくと、その分他の人の取り分が減るというものだ。自由もそのように感じられていて、誰かが自由をたくさん享受すると、その分他の人たちは我慢するというように感じられている。そうすると、他の人に気兼ねなく、自分の思う通りに過ごそうと思うと、一人になるしかないとなってしまうのだという。あたかも自由の総量のようなものが想定されていて、一人で何かをする場合は自由を満喫できるが、誰かと何かをやるということは、他者にその自由を取られるあるいは提供することになる。もし、自分の思い通りにするならば、自分が権力か権威を持つことで相手の自由を奪うことになる、というような感覚だ。だから、これだと自由であるためには一人でいるということになってしまう。
 つまり、自分が自由に行動できていないとするならば、それは誰かのせいで自由でない、ということになる。思い通りに行動できていない時に、他の誰かが自由に行動できているように見えると、その人のせいで自分が自由でないのではないか、と思う人も出てくるのは、こんな自由のイメージが関係しているのだろう。

IV.原型としての「本当の自分」
 学校がうまくいかない、10代の途中からは恋人がいないのはまずい、仕事やアルバイトも長続きしないのは情けない、などという自己否定感が岳君にあり、自分の人生がうまくいかないのは、今の自分が「より強い本当の自分」でないからではないか、と考えたのだという。
 ここには原型としての「本当の自分」という感覚も関わっている。言語学で言うプロトタイプのような感じで「本当の自分」というイメージがあるとでも言えば近いのだろうか。ここでの「本当の自分」というのは、生まれながらに備わっている、ある種不変のその人の原型のようなもので、自由でいられるならば、この「本当の自分」と基盤に発展していくことができる、というような、変わることのない原型としての「本当の自分」というイメージがあることが少なくない。この場合、その人が何らかの耐え難い苦しさを感じる時、それは「本当の自分」であることができないからであり、それは他者や場、制度などから自由が侵害されているからだと感じることにつながる。
 確かに、教師や上級生がほとんど重要な決定をしてしまい、とりわけ下級生が従うしかないという状況が多くの学校にある。この場合、教師や上級生の自由のために下級生が我慢を強要されるということになっている。また、耐え難い苦しみを感じる時は、自分自身であることができないということがほとんどだろう。孤独な自由や原型としての本当の自分というのは現代の日本社会を生きて来た中で得てきた感覚なのだ。しかし、自由はそのように孤独なものなのか、また変わることのない原型としての「本当の自分」というものがあるのかということに疑問がある。

V.人は一人では不自由にならない
 人は生まれながらに自由であるというのは正確では無い。生まれたての赤ちゃんは大人の世話なしには生きていけない。そこには大人の都合があるし、そもそも親の社会状況の中に子どもは生まれてくる。しかし、すべて人は自由への権利を持つということは奪うことのできない天賦の権利である。自由は個人に付属するものとしてあらかじめ個人の中にあるのでなく、人と人との関係の中で個人が育んでいくものではないだろうか。
 人は一人では不自由になることはない。言いたいことがいえない、思うように行動できない、それは他者によって強制されてのこともあれば、自らの中にあるコンプレックスや虚栄心からできないこともある。いずれにしてもそれは他者の存在があってこそ起きることだ。かと言って、他者がいての自由とは、一方が自由であればもう一方は我慢しなければならないということはない。双方が尊重しあう、たとえ双方が譲り合うということがあったとしても、お互いに自分が尊重されていると感じ、納得をしていれば、双方とも不自由であるとか、一方が他方の自由ために我慢しているということにはならない。
岳君はシューレ大学に入って様々な講座だけでなく、ソーラーカーを設計・制作し、国際ソーラーカーレースに出るというソーラーカープロジェクトにも参加した。時間をかけて何度も設計図を検討し、いざ制作をはじめて少しして、岳君はシューレ大学に来られなくなってしまった。彼が来られなくなる前にプロジェクトの中心をしていた学生がしばらくこられなくなり、その分岳君がその人の分も補おうと尽力し作業を進めたが、負担が多く、またその負担を口にすることができなかったのだ。それだけでなく、かつて職場で厳しい上下関係の中で質問することができなかったようなことをソーラーカープロジェクトでは教えてくれる専門家に気軽く質問をしている。そのときの苦しかった思いのやり場にも窮したのだと言う。1週間ほどして、私が彼のアパートを訪ね話していくと彼は話の中で自分の気持ちを整理しながら発見をしていった。上記のような自分の苦しさはどこから来ているのかということもそうだし、彼が自分で自分の苦しさを率直に話し、その話が受け止められるということもその大切な発見だった。彼は自分の負担感を言ってはいけないことだと感じていたし、言うこと自体が恐ろしかった。そんなことで苦しくなる自分もいけないし、苦しんでシューレ大学にこられなくなる自分もいけないという否定感もあった。岳君は、自分の思いをソーラーカープロジェクトの人に伝え、プロジェクトのメンバーもその思いを受け止めた。今までの苦しくなると一人になる、さらにどうしようもなく苦しくなるとその場をやめるという経験と違う経験をソーラーカープロジェクトのメンバーの力添えをもって拓いたのである。岳君が一方的に支えられたわけではない。彼の行動力、判断力やそれまでの経験はソーラーカーの完成に大きく貢献しており、ソーラーカープロジェクトはその参加者に大きな達成感と自信をもたらした。

VI.内なる縛り
 現在の日本社会は、多くの選択肢が社会的にも用意されており、個人の主体的な選択がかなり保障されているとされている。しかし、多くの人々には何か言いようのない抑圧感がある。それは、実際には人はこうあるべきというプレッシャーを生活や人生の重大な選択で感じるからだ。義務教育は小学と中学だが、高校に行くのは当然であり、大学に行くことも当たり前になってきている。学校を出ても、身なり、ライフスタイル、職場での行動などでも多くの規範のプレッシャーがある。これらの規範は社会の中に存在するものだ。社会は一人一人の人間が集まってできているが、一人一人ではどうこうできないような巨大な何者かとして存在する。そして、規範や価値のプレッシャーは漠然と感じているだけでなく、具体的な人とのかかわりの中で、個人は適切に行動しなければいけないと感じる。
 これらの価値や規範は、個人に劣等感を生みつけることがしばしばある。例えば、日本では18歳までに7割以上がセックスを経験すると各種の調査に子ども達は答えている。実際にそうであるかどうかは議論がある。実際にはセックスを経験していない子どもも、「経験している」と答えている子がそれなりの数いるのではないか、という議論があるのだ。仮にそうだとしても、18歳でセックスを経験しているのが当たり前だ、と考えている子どもが多いということであり、さらに言うと、18歳でセックスを経験していないのは情けないというプレッシャーを感じているということだ。経験していない場合、女性としてあるいは男性として劣っていると感じるのだ。そのように、誰かに言われなくても、10代でセックスを経験するのが普通というプレッシャーを感じていれば、セックスを経験していない10代は自分は劣っていると感じるのだ。このようなプレッシャーは、性に限らず身なり、学歴、友達づきあいをはじめ、生活全般に存在する。この場合、他者は同じ立場を共有する仲間、と感じられるのではなく、自分を評価し、裁定を下す者のようにその存在を感じてしまう。友人は共感を持つ相手ではなく、警戒せざるを得ない人ということになってしまうことが珍しくない。孤独な自由の感覚、原型としての「本当の自分」という感覚を持つようになるのには、絶えずこのようなプレッシャーにさらされ、常に自らをチェックせざるを得ない状況の中で、生き延びるために自分を守るためにそのように感じるようになっていったということもあるように思う。
 人は絶えず自分を評価してくるという怖さは岳君にもあった。自分の学歴を人に話しづらかったのだ。しかし、それだけではそんなに苦しくなかった。自分自身が自分を劣っていると思っていたからもっと苦しかったのだという。彼は「学歴社会・不登校」という講座に参加し、学歴について学び、参加者と議論し、1本の論文を書いた。「コンプレックスピラミッド」というタイトルの論文には「僕はなぜ学歴社会に取り込まれてしまったのか」という副題がついている。教員の親を持つ家庭に育ち、物心がついたときから学歴社会に批判的な会話が家庭にはあったという。しかし、岳君は予備校の偏差値表をほとんど覚えるほど大学の偏差値を気にするようになり、まるで自分が受験する大学の偏差値が自分の価値であるかのように感じるようになっていたのだ。その学歴コンプレックスをなぜ自分は持つようになるのかを解き明かすことによって、学歴コンプレックスから解放されたという。自分を掘り下げていくことで自分を解放したのだ。

VII.支えあいながら自由になる
 日本の若者たちは多くの場合、常に他者に評価されている緊張感があり、また自らも評価しコンプレックスを抱きかねないという状況におかれている。そんな他者や世間の目から逃れたり、他者に自由を奪われないようにする、あるいは自分が自由にすることによって他者の自由を奪わないようにするためには一人になるしかないというのでは、身動きが取れないし、希望が持てない。日本の若者が全員絶望しているということはないが、多くの若者がこのような閉塞感を感じているという状況はある。それでは、どうすれば絶望しないで生きていけるのだろうか。
 自律した人に迷惑をかけないような個人を指向し、一歩でも二歩でも近づいていかなければならない。これも多くの若者たちが強く感じているプレッシャーだ。アルバイトをして遊びに全部使ってしまう若者もいるが、早く親に経済的に負担をかけないで済むように自分でお金を稼がなければならない、とあせりを感じている若者も多い。親はそこまで自分の子どもを追い詰めたくない、そこまで経済的なことで負担を感じないで欲しい、と思っていることも少なくない。しかし、子どもは、親に迷惑をかけては申し訳ないし、人間として情けない、というのだ。迷惑をかけてはいけない、という感覚は行き過ぎると人との関係を分断していってしまう。迷惑をかけていると思うと後ろめたくて顔をあわせづらくなるのだ。迷惑をかけてはいけない、と考えるのではなく、お互いにベストを尽くしていれば、迷惑を掛け合ってもいい、支えあっていけばよい、と迷惑を掛け合う、支えあう関係をつくっていけばよいのではないだろうか。
 シューレ大学の若者たちは、会議やミーティングであるいは日常の時間の中でよく自分の思いを語り相手の話に耳を傾けている。時間をかけて不完全な自分を受け入れ、最善を尽くしつつお互いを支えあう、ということを始めている。他者を支えることの方が、他者に支えてもらうことよりしやすい人が少なくない。人に支えてもらうことが恐ろしいのだ。しかし、講座の中で共に何かを探求する中で、あるいはプロジェクトで共同で何かをつくりあう中で、その中の誰かが何かを感じるたびに、できるだけ丁寧にその思いや考えを出し合うということを重ねて、人に支えられということも喜びに変わっていく。ソーラーカープロジェクトに限らず、ある時はほんの数人で、また別の時は大勢で、その時々に応じて「腹を割ってじっくり話す」ということを大切にしている。岳君は以前よりずっと率直に自分の思いを語り、そのことを大切にしているという。
 自由になっていくためには、自分を大切にしていい、そして自分を大切にできるという感覚があり、他者との関係でお互いに大切にするということができているという実感が非常に大切なのだとシューレ大学の毎日から実感している。そこでは、自由は誰かが手に入れるとその分誰かの自由が減ってしまうものとしてではなく、お互いに力を出し合ってそれぞれに手にしていくことができるものとして感じられている。
 岳君は、自分の中にしみ込んでいた恐怖やコンプレックスを他の学生に受け止めてもらいながら解体していっているだけでなく、周りの学生との関係の中で、他の学生が自由になっていくということを支えてもいる。関係を持っている人が、お互いを大切にしようとしているということを感じることができるからこそ、自分の言いたいこと、やりたいことを思うように実現できていけるのだと感じられるのではないだろうか。そして、人が自分の中に持っている様々なコンプレックスなどの縛りから自由になっていくことには長い時間がかかる。また、常に新しい縛りが生まれてきうるものでもある。人はきっと、死ぬ時まで他者たちからを貸しあいながら少しずつ自由になるという営みを続けていくものではないのだろうか。そして、お互いを尊重していく関係の中で育まれる自由は、その個人をのびやかにしていくだけではない。岳君は、自分たちが自由であることによって社会を変えていきたいと言っている。