日頃何かと筆不精、連絡不精でということもあり、年の初めのご挨拶の機会に、1年のご報告を手紙でさせて頂いています。ブログを御覧のみなさんにも、新年のご挨拶をさせていただきます。
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◯玄冬1~2月・春3~5月
2015年はお声かけ頂き、国内外で話をする機会が例年より多かったように思います。一月には福島県で寺子屋方丈舎が企画をされた「ふくしまのこれからカレッジ」に参加しました。この集まりは、フリースクールというよりは、若者支援に携わっておられる方達が多く、福島の方々を始め、すでに出会っていてもよかった東京の方たちとも知り合うことが出来ました。二月には大阪のCORE+の素敵なスペース(コミュニティスペースco-arc)で世界のオルタナティブエデュケーションについて話しました。この話を聞いて下さったことから三月には伊那市で世界と日本のオルタナティブ教育について話すことになりました。大阪で開かれたオルタナティブ教育実践研究交流集会は熱気のあるもので、関西一円のオルタナティブ教育に関係する人たちが来られていました。自分にとって切実なことを深く掘り下げていくシューレ大学の「自分研究」に関心を持って下さる方がとても多く、嬉しい驚きでした。
今年のIDEC(International Democratic Education Conference)はニュージーランド南島にある風光明媚な小都市ネルソン市で開催されました。参加人数は小規模な大会ではありましたが、先住民のマオリの文化を尊重した大会でした。大会会場に行く前に、古くから付き合いのあるフリースクール、タマリキスクールに寄って行きました。タマリキスクールは2011年に大震災があった都市クライストチャーチにあります。今も街中には地震の傷跡があちこちに見受けられ、復興に時間がかかっていることがよくわかりました。前の代表のパット・エドワーズさんともお会いすることが出来ました。脳梗塞でご不自由がありながらも、文学に関心を持って過ごされていました。ご自身の受けた教育を振り返り自分で決めることが出来なかった教育は良くなかったときっぱり言われていたことが印象的でした。大会では多様法について話しました。世界の各地から集まった参加者たちがほぼ一通り参加してくれました。会場一杯の人々は日本では中学生一人当たり約100万円の教育予算が使われているという説明に、「それはいい間違いではないか、日本のような豊かな国の教育支出がそんなに少ないはずが無い」などという反応もあれば、「学習指導要領に拠らない教育が認められるのは当たり前だが、国がホームエデュケーションを含めフリースクール等に公金の支出をするとなれば画期的だ。是非、実現して他の国でも公費支出をする手がかりにできるようにして欲しい」などというようなことも言われました。
◯夏6~8月
今年の夏は東京シューレの30周年行事が続きました。北とぴあというホールを借りて30周年イベントを大々的に開くことが出来ました。それだけではなく、シューレ大学は不登校大学という30講の連続講座企画の会場となり、運営もシューレ大学の学生が実務を担いました。山下英三郎さん、汐見稔幸さんのような外部の重鎮の方々の講演だけでなく、東京シューレのスタッフもテーマに応じて講座を担当しました。僕は、「不登校の歴史」「不登校研究の歴史」「日本と世界のフリースクール」などを担当しました。参加者の方たちの関心が高く関西などからも申し込まれていました。
6月は、オランダの教育やイエナ教育の第一人者のリヒテルズ直子さんと対談をしました。リヒテルズさんはいつも明快に発言される方でとても刺激的な会になりました。数としては少数者が尊重されるということは実はその当該の少数者にとってだけ意味があることではなく、多数者にとっても意味があることというようなことを改めて感じることが出来ました。
シューレ大学と卒業生がつくった社会的企業・創造集団440Hzの共同制作で「世界の教育最前線」というビデオシリーズを毎年つくっています。この夏はフィンランドに行きました。友人のマルコさんのお世話になりながら取材をしました。フィンランドは公教育の枠がとても柔軟性があり、学校や教師の裁量権が大きかったり、公教育の中でモンテッソーリ教育ができたりしていました。
夏の恒例行事となっている「シューレ大学国際映画祭・生きたいように生きる」は。お蔭様で8回目を迎えました。戦後70年目の節目の都市だったため、戦争と平和を考える映画を上映しました。その一本にヘイトスピーチを取り上げたドキュメンタリーもありました。眼を覆うようなヘイトの活動があり、シューレ大学でもアドバイザーの辛淑玉さんにつながる形でアンチヘイトの活動の裾野に加わっています。韓国から来日したハジャセンターの仲間たちは韓国の中で東南アジアなどから韓国に来た人たちへのヘイトクライムなどがあるそうで、そのことについての調査やアクションプランを練っていました。アンチヘイトの活動の第一人者の一人、辛淑玉さんに紹介することができてよかったです。
◯秋9~11月
今回で2回目となる佐賀のフリースクール・ハッピービバークの若いスタッフの森田さんが中心になって「生きづらさについての講演と対話のイベント―既存の働き方に振り回されないで生きる―」を企画してくれました。若者の生きづらさに関心が高まっているのか、立ち見が出るほどの盛況でした。この会は、講演者が一方的に話すのではなく、佐賀を中心に九州北部から来た若い人、親の方々と言葉が交わし合わせるもので、充実した時間になりました。若者の生きづらさへの関心の高まりは、千葉や他で話した講演でも感じました。
戦争と平和について、安保法制について、シューレ大学でも知ったり、意見交換が出来る時間をとったりしました。学生やOBOGはそれぞれにいろいろ動いていました。安保法制が可決された夜は僕も含め、シューレ大学の有志が議事堂前にいました。戦争と平和、政治、個人が社会とどう関わるのかということについて多くのことを考え、話しました。
10月に「シューレ大学研究イベント世界を自分に取り戻す」を開いて5回目になりました。初めてシューレ大学を会場に開き、また有料の形としたため、参加者が減るという心配もありましたが、例年と同じ人数の方が来て下さいました。働くことの困難、自己否定などをテーマとした発表が五本あり、毎回暖かくも鋭いコメントを下さる最首悟さんとのクロストークも例年より噛み合い好評でした。
多様な教育機会確保法「ここまできた!」報告会を多様な学び保障法を実現する会の主催で開きました。学習指導要領とは独立の学びをフリースクール等でもホームエデュケーションでもできるように制度的に認め、公的支出も得ようとする市民から始まった立法の運動の集会です。六月に現馳文科大臣が議員連盟で立法チームをつくると発表してから、立法への動きが加速しました。この運動を進めることは、不登校とは何か、不登校の運動は何であるのか、フリースクールとは何か、教育・学びとは何かなどを改めて考えざるを得ないことです。あちこちでそのような議論をした1年でした。
11月には韓国の教育専門誌で、フリースクールも運営しているミンドゥルレの若者たちから、若者が生きやすい社会をつくるためのフォーラムを開きたいというお声掛りがあり、参加してきました。韓国でも若者は大学への進学プレッシャーが強かったり、就職難がひどかったりで閉塞感が強くあるのだそうです。韓国の6~7団体、日本からシューレ大学を含め3団体が参加し、お互いを紹介し合い、人にとって、とりわけ若者にとって必要な「よりどころ」とはどのようなものかを議論し、「よりどころ宣言」を行政のカンファレンスルームで発表してきました。韓国のオルタナティブスクールの運動をリードしてきたミンドゥルレやハジャスクールに20代以上の若者が活動する青年部ができているのは、オルタナティブスクールの歴史が積み重なってきている上でのことなのだと感じました。
◯初冬12月
震災以降毎年お手伝いに伺っている石巻市旧雄勝町に今年も行ってきました。ずっと関わっている立浜地区では今も仮設住宅で暮らしています。まだ住宅の建設が始まっていないのです。顔の見える関係で継続して関わろうということが少しずつ積み重なっています。そんな中で今年初めて聞く震災の時の話がまだ出てきます。関係が積み重なる中で出てくる話があるのだと思います。その一つは、ご家族を亡くした時の話でした。石巻市では大勢の犠牲者が出た大川小学校と門脇小学校を震災遺構として保存する方針を出そうとしているようです。そのことについても話を聞いたり、議論をしたりしました。
シューレ大学が若松河田に移転して以降、冬の恒例行事となった演劇公演ですが、今年はロシアからモスクワ国際フィルムスクール(MIFS)を招待して行いました。MIFSが『オレーシャ』というロシアの文豪クプリーンの作品を上演し、シューレ大学がインドの詩聖タゴールの『パロット・トレーニング』を上演しました。これに加え、シューレ大学の短いシアトリカルダンス『オレーシャ』とMIFSがつくったアニメーション『パロット・トレーニング』も上演しました。MIFSとは2001年の出会いから映画や映像の共同制作や学びのあり方についての交流などパートナー団体の一つと言っていいようなお付き合いを重ねてきました。今回の企画でも両方の若者から振り返りやお互いの活動について語り合う機会を出来るだけ長く持ちたいという声があり、演劇講演の後も時間かけて交流しました。一緒に関わる人たちで共同しながらより高い表現を求めていくという共通性を持ちながら、お互いのやりかたに感心したり、わが身を反省したりする機会になりました。MIFSが『オレーシャ』でテーマにしたのは少数者への理由の無い憎しみが悲劇をもたらすが、憎しみに憎しみで対抗するのではなく赦し合い、わかろうとすることが大切だというものでした。日本社会の閉塞感について、あるいはヘイトスピーチについてなどについて話し合ってきた私たちと重なるものを感じました。
長々と昨年の報告を書かせて頂きました。最後までお付き合い下さりありがとうございました。
この一年があなた様にとって良い一年でありますように、末筆ながらお祈り申し上げます。
朝倉景樹